Joe's Cafe

現役予備校講師・丈/Joeが徒然に語る、英語に関するアレコレ。単語や文法、読解の方法論など、様々なメニューをお楽しみいただけます。受験英語から大人の教養レベルにいたるまで、幅広い情報をおつたえします!軽食からフルコースまで、何でもJoeにお任せ(^^♪

「ライブ」を英語で言えますか

 お久しぶりです^^;「開店」早々蜘蛛の巣が張ってしまい、「マスター」本人ですらここの存在を忘れてしまっている始末…^^;これからは、また定期的に投稿していきたいと思います(思うだけ)。

 

 さて、私自身音楽をやるので、頻繁に「ライブ」という表現を使うのですが、だからといってライブを広告するときに

 

 I'm going to have a live this weekend!

 

 などとは言えません。なぜなら、[laiv]と発音するliveは形容詞だからです。

 

このliveは「(録音されていない)生放送の」という意味で使います。つまり、ライブは

a live concertとなるのです。つまり、本体はliveがかかっているconcertの方なのですが、逆にliveだけが取り残されて、現在の「和製英語」になったようです。

 

 これはちょうど、a permanent waveからpermanent(永く続く)だけが取り残された現象と似ていますよね。もっともこちらは、さらに「パーマ」などと勝手に略されており、天然パーマを略した「天パ」などは、もはやまったく原型を留めていません^^;

 

 さらに似たような例として、コンプレックスがあります。これについてもまたぞろ、

コンプレックス≠complexです。もともとはan inferiority complexで「何かに劣っているとく気持ち(inferiority)の複合体(complex)」を表しているのですが、<be> inferior to X : Xに劣っている…というidiomからもわかるように、「劣等」の意味の担い手はcomplexではなくむしろinferiorityの方なのですね。それを日本人が勝手にcomplexだけを取り残してしまったせいで、今の「コンプレックス」が残っているというわけです。なお、こちらについても「学歴コンプ」といった「略語+複合語」のパターンも見られます。

 

 個人的には、いやしくも英語を教える立場の者として、コンプレックスというくらいだったら「劣等感」という日本語を素直に使いたいものです。何でもかんでも横文字で表現することは、母語の運用能力を妨げこそすれ、促進することにはつながりません。それでなくても、日本語が乱れているのは何も若年層に限った話ではないようですから…^^;

 

 話が脱線しましたが(ちなみに講義中もこんなんです^^;)、閑話休題。ではライブをどういえばいいかというと、基本的にはa concertでよいです。ロックの場合などはa showのほか、(BOΦWYが使って有名になった)a gigなども使えますし、a performanceは音楽演奏も含めた興行一般に使える便利な語です。

 

 数年前、Shakalabbitsというバンドが、自分たちがやりたいのはライブであってコンサートではない!という旨の発言をしていたのですが、彼らがやっているのは正真正銘a live concertなんですね^^;

 確か、「コンサート:クラシック音楽(classical music)の場合と同様にお行儀よくおとなしく聴く演奏会」という認識に基づいて、演者も観客も熱く盛り上がるライブをやりたい、という認識だったと記憶しています。ダイブやモッシュといったパンクロック名物の危険性に対する指摘についての反論…という文脈でしたが。

 

 Shakalabbitsが言葉の使い方を間違えていると言いたいのではありません。おそらく、日本語の「コンサート」や「ライブ」に、本来の英単語としての意味には含まれていない別のニュアンスが、知らず知らずのうちに込められてしまうという現象は、往々にして起こるものです。数年前には、ドラマーのLEVIN(ex-La'cryma Christi)が、当時組んでいたバンドTHE HUSKYを一部メディアに「ユニット」呼ばわりされたことに対して不満をblogで述べていたこともあります。その言葉には「期間限定」というニュアンスがあるから、ということでしたが、英単語のunitはともかく音楽の「ユニット」にそのようなニュアンスがあるとは、寡聞にして知りませんでした。音楽業界の事情などには総じて疎いのですが、どの業界でも多かれ少なかれ(sooner or later←日本語と語順が逆)そういった問題はあるのかもしれませんね。

 

 そうそう、ちなみにライブハウスも和製英語です。a clubないしはa barと言います。

欧米では日本よりも、食事をしたり酒を飲んだりしながら音楽演奏を楽しむことが一般的なので、日本のライブハウス=欧米のa live barとは限らないとも言えます。語学を学ぶ際は、彼我(ひが)の文化的な違いにも目を向けるべき場面がたくさんあるのです(*^^)v

 

 

ジョウ

救急車を追いかける人=悪徳〇〇

 すっかり更新が滞っているうちに新年度が始まってしまいました^^;

そろそろ身辺も落ち着いてきたので、マイペースではありますが、改めて面白い情報をお届けしていきます。

 

 さて、タイトルについて。

「救急車を追いかける人」とはan ambulance chaserの直訳です。

(chase:追いかける)

 

 実はこの言葉、特定の悪徳業者を指すのですが、その業者とは…?!

 

 

 

 

 

 

 答えは、弁護士。そう、an ambulance chaserとは「悪徳弁護士」のことなのです。

 

 

 たとえば交通事故が起こったとき、当然救急車が呼ばれ、被害者が病院に搬送されますね。その救急車を弁護士が追いかける―それも、サイレンを鳴らしながら脇目も振らずに病院を目指してひた走る救急車を。なんのためかって、それはもちろん、大けがを負って動けない被害者の代理人として訴訟を起こし、高額の成功報酬を被害者に請求するためです。被害者からすれば、自分の身に降りかかった不幸に見知らぬ弁護士が便乗して商売し、挙句大金を取られるのだからたまったものじゃないですよね(;^ω^)

どこで事故のことをかぎつけたのか、事故発生から間髪入れずにターゲットに接近するという商魂たくましさが表れているのが、表現として面白いですよね。

 

 もっとも、事故や災害のどさくさに紛れてメシのタネを見つけるという浅ましさや貪欲さは、およそどこの世界でも横行していますよね。決して美しいことではないけれど、それもまた人間のなせる業、ということですね。僕の職業で言うと、大学受験の合格発表の日に、がっくり肩を落としてとぼとぼ帰路につく学生を早速chaseするようなものかな(笑)。

 

ofから読み解くジミヘンの名言

 僕の大好きなギタリスト・Jimi Hendrixの名言で、次のようなものがあります。

 

 When the power of love overcomes the love of power, the world will know Peace.

 

わからない単語はほとんどないかと思いますが、訳せますか?

 

the power of love は「愛の力」でいいとして、the love of powerは「力の愛」…?

ofの訳出って、意外とバカにできないものです(^_^;)

 

A of B = 「BのA」と一般には認識されているようですが

ofは所有格「~の」だけでなく、

主格「~が」目的格「~を/に」同格「~という」

のように、およそすべての格をカバーするマルチプレイヤーなのです。

 

たとえば、wisdom of Solomonというと「ソロモンの知恵」と訳されますが、

これはもともと

    Solomon is wise.

のようにofを主格として解釈すべきところです。 何しろ、賢者ソロモンですから。

 

では、Jimiの名言に戻りましょう。

 

 the power of loveは「愛の力」で訳語としては問題ありませんが、このofは同格(前のものの中身を説明する働き)ととることができます。「愛という力」ということですね。

 

一方、the love of powerですが、動詞のloveが他動詞である(目的語を伴う)ことを考えると、「力を愛すること」となります。愛するというよりは、「身を任せる」とか、さらに言うと「溺れる」という感じでしょうか。

 

すると全体の訳は、以下のようになります。

 

「愛という力が暴力に依存する気持ちを超えれば、世界には平和が訪れる。」

 

愛にもいろいろな意味がありますが、おそらくこのloveは「互いに理解し合い、受け入れ合うこと」 を表しているのではないでしょうか。

 

 Jimiは27歳にして夭逝しました。その年齢をいつの間にか超えてしまった今、改めて彼の音楽や生き様に虜になっています。

 

 では、僕の大好きなJimi Hendrix numberをどうぞ(*^^)v

 


Jimi Hendrix Experience - Hey Joe Live

 

internationalの本当の意味

 これからは国際化の時代だ、国際社会で活躍できる人材を育てるのだと、時代はまさに「国際祭り」とでもいうべき状況です。大学の学部なんかでも、「国際〇〇学部」はいかにもそれらしい響きだからか、着実に人気が高まりつつあるように感じます。

 

 では、「国際社会」とはいったいどこなのでしょうか。

 

 国際的、とは英語ではinternationalで、今日では外来語としてもすっかり定着しています。同時にこの単語は、漠然と世界を表すという根本的な誤解を持たれてもいます。

 

 そもそも、inter-という接頭辞は「お互い」という意味です。

 

 interview:お互いに向き合うこと⇒面接、面談など

 

 the Internet:もとはinternetwork。ネットワーク同士がつながりあうこと

 

この伝で考えると、

 

inter-「お互い」nation「国家」-al(形容詞を作る)

 

なので、「(特定の)国家間の」というのが正しい理解なのです。

 

たとえば、日本とアメリカの関係しかり、中国とロシアの関係しかりですね。

 

外務省によれば、世界の国家は日本を含めて196国を数えるそうですから、

二国間の関係に限って言えば、

 

     196C2 = 19110

 

ですから、これを世界地図にすべて書き込んだ日には一面真っ黒になります(^_^;)

つまり、結果的に「漠然と世界」を表すと言えなくもないのですね。

 

 ここでひとつ、気をつけるべきポイントがあります。それは、

 

国際社会は(本来の意味において)

必ずしも英語圏を意味しない

 

ということです。当然ながら、日本と韓国のという国際関係ならば、英語を用いる必然性はありません。あくまで本来の意味においてですが、英語を話せることは国際社会で活躍することの必要条件でもなければ十分条件でもないのです(そもそも誰もが国際社会で活躍するなどという必要性も妥当性も皆無ですが)。

このあたりの事情を無視ないし軽視して、「国際化」を錦の御旗に英語をやたらと崇め奉る姿勢は、こと教育界においては非常に欺瞞的で不適切だと思うのですがね…^^;

 

前置詞の直後なのに形容詞?! (2) -for-

 前回の記事の続きです。

 

前置詞の直後なのに形容詞?! (1) -as- - Joe's Cafe

 

 簡単におさらいすると、be動詞にしてもasにしても、「イコール」を意味します。

そこから、直後には名詞も形容詞も入るという共通点に至るのでした。

 

 今回は、同様の視点を前置詞forにも向けてみたいと思います(*^^)v

 

  つまり、前置詞forの後にも形容詞が来ることがあるという意味なのですが、そもそもそんな認識などなかった人も少なくないでしょう(^_^;)

 

 しかし、これはたいていの熟語集に載っている表現で、ご存知の方も多いでしょう。

 

 take X for granted:Xを当然と思う

 

grantedは動詞grant「保証する」の過去分詞ですが、簡単に言うと、分詞というものは、形容詞または副詞として働きます。このgrantedは形容詞です。

 

 Tom takes her deep affection for granted.

「トムは彼女に深く愛されているのに、そのありがたみをわかっていない。」

 

 繰り返しになりますが、等式の右辺には名詞だけでなく形容詞も入ってよいというこでした。逆に考えてみましょう。forの直後に形容詞があるということは、forが「イコール」を意味する証拠ですよね。

 

 そんな意味があるなんて知らなかった?でも、forに「交換」の意味があることはわりと知られた話です。

 

 I paid 3,000 yen for this CD.「このCDの代金は3,000円だった。」

 

 これが交換のforです。まさに3,000円とCDを交換していますよね。

ところで、なぜその取引が成立するのでしょうか。

 

 もちろん、互いに同等の価値を持つからです。もし客が2,000円しか払おうとしなければ店側は売るのを拒否するでしょうし、あるいはそれがボロボロの中古品であれば、3,000円も出して買う人など皆無でしょう。

某人気コミック(アニメ)により「等価交換」という言葉が流行ったような気がしますが、(少なくとも建前上は)交換されるもの同士は互いに「等価」ですよね。

 

まさに、for=「交換」→「イコール」です。

 

改めて、先ほどの例文をご覧ください。

 

 I paid 3,000 yen for this CD.

 

確かに、3,000 yen = this CDが成り立っていますよね。

 

 次のforも、実は「交換」です。

 

 She did the work for me.

 

多くの人が「私のために」と訳してしまうところで、結果的に正しい訳にはなるのですが、本来の意味は「彼女は私の代わりにその仕事をしてくれた。」です。 

「彼女」が「私」の代役になれたのも、両者の能力が等しいからですよね。

 

(正確に言えば、"彼女≧私"かもしれませんが^^;)

 

 ここで、最初の例文に戻りましょう。

 

 Tom takes her deep affection for granted.

 ⇒ her deep affection = granted(保証済み)

 

 結論、forも一種の「イコール」である以上、be動詞やasと同様、直後に形容詞を置いてもいいことが証明されました\(^o^)/オワタ

 

 ちなみに、take X for grantedの類例として、以下のようなものもあります。

 

 give up X for lost:もう(い)なくなってしまったものとしてXを捜すのを諦める

 <be> left for dead:死んだもの・見込みのないものとして見放される

 

 

 …ところで、affect「影響する」の名詞形affectionが「愛情」という突拍子もない意味になるのはなぜでしょう。

 

 それは昔、愛情は月の影響を受けていると考えられていたためです!(^^)!

 

前置詞の直後なのに形容詞?! (1) -as-

 in, of, atなどをはじめとする前置詞は、名詞の「前」に「置」く語です。必然的に、その直後には名詞が入ることになり、その名詞を「前置詞の目的語」と称します。

 

 ところが、ごく一部の前置詞の目的語に、なんと、形容詞がなることがあります。

 

その一つがasです。まずは、asの基本的な意味を簡単に説明しましょう。

 

 asといえば、何やらいろいろな意味がある、いかにも面妖な単語というイメージがあるかもしれません。ですが、解釈に一工夫必要なのは接続詞のasであって、前置詞のasは常に「イコール」を表します(※ シンプルな事実ですが、これが本記事クライマックスの伏線です^^)。

 

 As your doctor, I'd say you should refrain from drinking so heavily.

「医者として言わせてもらいますがね、深酒はお控えなさい。」

 ⇒ I = your doctor

 

 They regarded Ted as a genius.

「彼らにとって、テッドは天才だった。」

 ⇒ Ted = a genius

 

 Her sudden marriage struck me as the end of the world.

「彼女の電撃婚は、僕にとってはこの世の終わりだった。」

 ⇒ Her sudden marriage = the end of the world

   (絶望したからって、勝手にこの世を終わらせんな^^;)

 

 …といった具合です。常々学生に言うのですが、前置詞asがあったら、等式の両辺を(たとえ離れていても)必ず確認すべきです。そうすれば、訳語は後からついてきます。

 

  前置詞asの本質は「として」ではありません。あくまで「イコール」なのです。

 

 さて、本題に入りましょう。

 

 上記の例文では、asの目的語はすべて名詞でした。一方で、こんな使い方もあります。

 

 A lot of students label the grammer as useless.

「文法は役に立たないと思いこんでいる学生は数多い。」

 

 uselessは「役に立たない」という意味の形容詞です。本来なら、前置詞の目的語になれるのは名詞だけのはず…。

 

 まあ、何にでも例外はあるからね。asの後ろには形容詞が来てもいい、と…はい、暗記暗記…φ(..)メモメモ

 

―ってちょっと待ってください(^ω^;)

 

 確かに例外です。でも、もう少し突っ込んで考えてみませんか?

 

 よくよく考えてみれば、通常asの後ろには名詞しか来ないことなんざ、ネイティブにとっては(少なくとも感覚的には)当たり前のルールです。よほどのことがなければ、形容詞なんか置く気にならないと思いませんか^^;

 

逆に言えば、形容詞をつい後ろに置いてしまう、そしてそれが一般に広まるということは、それなりの強い理由があるということでしょう。

 

 そのキーポイントが、asの持つ基本的意味

―そう、「イコール」です(先ほど、「伏線」と言いましたね^^)。

 

 実は、asよりももっと身近な単語で、「イコール」を意味するものがあります。

 

それは、be動詞です。

 

 Kate is a kind teacher.「ケイトはやさしい先生だ。」

 

このとき、Kate = a kind teacherの関係が成り立つことがわかりますね。

 

でも、「ケイト」が「やさしい」ということを伝えるだけなら、もっとシンプルな言い方があります。

 

 Kate is kind.

 

ここでも、isを=に見立ててみましょう。Kate = kindですよね。

そして、kindは形容詞です。

 

 そう、be動詞の後ろには、名詞だけでなく、形容詞も来ていいのです。

be動詞の後ろの要素を「補語:Complement」と呼びますが、実際、補語になるものは通常、名詞または形容詞です。文法単元で言うと、【5文型】の最初に扱われる事項ですね。

 

 それが、asと何の関係があるのかって?

 

 つまるところ、補語というのは、等式の右辺に当たるものです。

 

補語に名詞か形容詞が入るということは、さらに拡張して考えると、

 

等式の右辺には名詞も形容詞も入ってよいということなのです。

 

asの直後は等式の右辺だから、形容詞が来ても何も不思議なことなどありません。

むしろ、自然に受け入れられるというわけであります。

 

 

 このように考えると、前置詞forの直後に形容詞が来る理由も説明できます(*^^)v

(例:take X for granted「Xを当然のことと思う」← grantedは(事実上)形容詞)

 

 詳しくは、また後日…サイナラ-(@^^)/~~~

 

genocide≠大量殺戮?!

 あまり見ていて愉快な単語ではないのですが、genocideは「大量殺戮」と訳されることが多いです。ただ、僕の考えではこれは誤訳です。

 

 まず、-cideという接尾辞はkill(殺す)という意味です。

 

 suicide = 自殺 (sui- = self)

 homicide = 殺人 (homo- = 人)

 pesticide = 農薬 (pest = 害虫)

 

 では、genocideとは何を殺すことでしょうか。

 

 geno…これは、gene(遺伝子)と大いに関係があります。

generate(生み出す, 世代)に見られるように、生命や子孫を意味するものです。

まさに、特定の遺伝子をこの世から葬り去る―それがgenocideなのです。

 

 ここで、ナチスユダヤ人に対して行った非道を想起した方が多いことと思います。

あれは、単に多くの無辜の民を殺戮したというだけではありません。

優生学という似非科学を錦の御旗に、ユダヤ人という民族を根こそぎ消し去ろうとした―そこにこそ、人間の計り知れぬ恐ろしさが見えるのです。

 

 つまり、genocideは「特定の人種・集団に対する組織的・計画的な抹殺」を意味するのです。つくづく、人類の愚かさを思い知らされますね。